写メール日記
PHOTO DIARY
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2023
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05/23[Tue]
10:41溜まったモノは……
おはようございます♪
サミット終了しましたね
色々ネットで情報とか見てみたけど
全然ちんぷんかんぷんで
分からなかった美玲です(笑)
あまり外出出来なかったと
思うんですが、皆様はどうでしたか?
4日間の溜まりに溜まったモノ
吐き出しちゃいましょ
そして本日ご予約頂いている方、
ありがとうございます♪
お時間まであと少し……
気をつけてお越しくださいね
ニューヒロシマ
美玲
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2023
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05/17[Wed]
06:15歯止めが利かない
おはようございます♪
歴史シリーズ
久坂玄瑞編Part26
長州藩不在の京都では、政治的混乱が続いていました。
かつての一橋派がめざした、将軍後見職・一橋慶喜と、優れた大名による合議政治(「参預会議」)が行われるようになったのですが、うまくまとまらないのです。
さて、この状況をみて、長州藩はどうすべきか?
意見は真っ二つに分かれていました。
進発派:久坂玄瑞
慎重派:高杉晋作、周布正之介(すふ まさのすけ)
かつて「松下村塾」では、暴れん坊の高杉と、慎重な久坂と認識されていました。
が、この頃には逆転しています。
高杉は「久留米藩の大馬鹿者の真木和泉保臣と、わしらの藩の大馬鹿者の久坂。こいつらがグルになって何か企んだら、何をしでかすかわかったものじゃない」とボヤいておりました。
しかし結果は、進発派の勝利。高杉と周布が失脚し、京都進発が決定事項となったそのとき、衝撃的な事件が起こります。
「池田屋事件」です。
この事件は、京都を放火して天皇を拉致するクーデター計画を阻止するためだったとされていますが、そもそもそんな計画があったのかどうか、現在は諸説あります。
ただ、長州藩進発派上洛前夜のことであり、その計画がクーデターとして察知された可能性はあるわけです。
この事件で、長州藩士で「松下村塾」出身の吉田稔麿ら、多くの犠牲者が出ました。
長州藩進発計画は、弔い合戦の様相も帯びていくのです。
続きはまた明日
それでは皆様、
今日も元気にいってらっしゃい((ヾ(・д・。)フリフリ
ニューヒロシマ
美玲 -
2023
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05/16[Tue]
20:17攻守交代本日もご予約、お誘い
ありがとうございます♪
今日も楽しい1日を過ごせたのは
皆様のおかげです
美玲、責めるの好きなんですが、
もちろん責められるのもLoveです
攻守交代しながらの〇〇は……
そして今日はなんと潮吹き挑戦からの
大成功ワァ───ヽ(*゚∀゚*)ノ───イ
気持ちよくなってくれるのって
すごく嬉しい
挑戦したい変態様は
是非、美玲にこっそり伝えてねそして、
明日の出勤時間が変更になりました
▽出勤時間▽
? 12時〜16時半?
↓
?10時〜16時半?
2時間早くなりました
素敵な出会いがありますように
優しい貴方からのお誘いお待ちしています
本日は本当に本当に
ありがとうございましたニューヒロシマ
美玲
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2023
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05/16[Tue]
11:38性交解禁日
こんにちわ
今日も昨日と同じく、
全く駐車場が空いてなく……
ぐるぐる回ってやっと停めれましたε-(´∀`*)ホッ
お題で、今日は性交解禁日って
書いてあるの見たんですが、
初めてしりました(ΦωΦ+)ホホゥ....
ということで溜まったモノを
一緒にぶちまけちゃいましょ
12時〜16時半
ご予約、お誘いお待ちしておりますね
ご予約頂いてる方、お時間まであと少し……
気をつけてお越しくださいね
ニューヒロシマ
美玲
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2023
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05/16[Tue]
06:15上関三士
おはようございます♪
歴史シリーズ
久坂玄瑞編Part25
単に藩士が亡くなった――というわけではなく、航海術に長けた者が亡くなってしまい、薩摩藩は困ることになります。
藩内はむろん、久光も激怒。
しかし、ここで怒りを表明すれば、密貿易の件が明るみに出かねません。耐えるほかありませんでした。
そんな最中、別の事件が発生します。
元治元年(1864年)2月、周布・別府浦に停泊中の、薩摩商船が砲撃を受けて沈没したのです。
しかも、貿易商であった船主の姿は消えていました。
それから数日後――。
大阪に、船主の首が晒されました。斬奸状によれば【外国との密貿易を行い天皇の意に背いたため、成敗した】とのことです。
首の前では、長州藩士の山本誠一郎と水野精一が切腹しており、発見時には事切れておりました。さらにそのあと、高橋利兵衛という男が、周布の寺で切腹しているのが発見されます。
商船砲撃および船主殺害は、この3名の仕業でした。
後に「上関三士」として、靖国神社に合祀される3名ですが、ここまでが表向きの話でして。
この話の裏には、策略がありました。
薩摩商船砲撃犯人は、実のところ不明でした。そこで久坂ら、藩の指導部は、薩摩を非難し、長州に同情を集める、一石二鳥の妙案を思いつきます。
藩主導の下、【命を捨てる】ということは伏せられたまま、「首を晒すための」実行部隊が集められました。
水野が名乗り出て、1人では足りないため山本も説得。
「この首を大阪に晒して来んさい」
そう命を受けた2人は、大阪に向かいます。
そして首を晒した2人が帰ろうとすると、おもむろにその足を止められるのです。
「ここで腹を切りんさい」
藩の非情な命令に対し、水野と山本は驚き逃れようとしますが、追いかけられて出来ないと悟り、腹を切りました。
山本はなかなか死のうとしないため、無理矢理介錯、つまりは殺害されました。
この策略は、久坂の読み通り当たりました。
「なんちゅうこっちゃ、薩摩は勝手に密貿易しとったんや!」
「穢らわしい夷狄相手に金儲けかいな、えげつないわ〜」
「それに引き換え、長州のお侍さんは、たいしたもんやな。正義のために腹を切る。これぞ義士やで!」
大阪の人々は、薩摩藩の卑劣さに怒り、上関三士と長州藩に同情を寄せたのです。切腹現場には、忠臣の遺徳を偲び、民衆が押し寄せました。
かように久坂はじめ長州藩は、人心掌握術に長けておりました。ゆえに京都でも大阪でも大人気だったのです。
長州としても、この一件で大衆の心を掴んだことを確信したのでしょう。
この時期、島津久光殺害予告を大阪で配布しました。
しかし偉いのは、殺害予告された久光。
後世の作品では【短気・狭量・冷酷・愚昧】と散々な評価を受けがちな彼ですが、こうした挑発にぐっとこらえる器量を持ち合わせていたのです。
本当に悪評通りの性格ならば、ガチギレしていてもおかしくはないところ。
一方、久坂は、純粋過ぎて命を落とした青年志士というイメージがあります。
それだけが、彼の本質ではありません。
マキャベリズムも持ち合わせ、時に冷酷に振る舞う。そして適切に人々の心を引きつけ、世論を動かす。
そんな智力を、持つ男でした。
続きはまた明日
それでは皆様、
今日も元気にいってらっしゃい((ヾ(・д・。)フリフリ
ニューヒロシマ
美玲
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2023
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05/15[Mon]
21:48人肌密着本日もご来店で遊んで下さった
仲良し様ありがとうございました
あんな体勢であんなコトすごく興奮しちゃいました
感じてる表情も見れて
濃厚で幸せな時間でした
密着していちゃいちゃ嬉しかったぁ
人肌が大好き
最近は暑くなってきたから
エアコンをかけてくれている事が
多いのですが、
エアコンの風でちょっと寒い中、
密着して肌と肌を重ねて、
こねくり回す(笑)のが
すごく大好きなんです
アレすごく気持ちよくないですか?
是非またお誘いの時は
エアコン付けて待っててくれたら
嬉しいです
明日は12時〜16時半
出勤予定となっております
ご予約、お誘いお待ちしておりますね
本日は本当に本当に
ありがとうございました
ニューヒロシマ
美玲
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2023
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05/15[Mon]
10:14車でぐるぐる……
おはようございます♪
本日も元気に出勤致しました
駐車場が停めれなくて
ぐるぐる……
やっと停めれました(*´д`*)ハァハァ
今週の出勤予定です
月曜日10時〜16時半
火曜日12時〜16時半
水曜日10時〜16時半
後半は交通状況によっては
出勤出来るかもなので
またお知らせします(*´`)
本日もお誘いお待ちしておりますね
ニューヒロシマ
美玲
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2023
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05/13[Sat]
07:18沈む〇〇〇
おはようございます♪
歴史シリーズ
久坂玄瑞編Part23
長州藩では、薩摩への憎悪が募りに募っておりました。
「八月十八日の政変」の件もありますが、理由はそれだけではありません。
攘夷のトップリーダーは、かつて長州藩でした。
ところが薩摩藩が、生麦事件と薩英戦争を起こし、その座を奪ってしまったのです(薩摩側はそんなことを競ったつもりもないでしょうが)。
そんな最中、長州藩は、薩摩藩がイギリスと密貿易をしていることを嗅ぎつけます。
当時は南北戦争の最中であり、イギリスはアメリカから綿花を輸入できなくなっていました。
そこで、薩摩産綿花を買い付けることにしたのです。
「薩摩というさあ悪い連中じゃ。攘夷と言いながら、イギリスと貿易をしちょるじゃないか。化けの皮を剥がしちゃる」
文久3年(1863年)末。長州藩は外国船だと勘違いしたとバレバレの嘘をつき、薩摩船
「長崎丸」を砲撃して撃沈します。
「まさか薩摩の船たぁ思わだった。外国船じゃと思うた。攘夷のつもりじゃった」というわけですね。
この事件で薩摩藩士、28名が死亡しました。
続きはまた明日
それでは皆様、
今日も元気にいってらっしゃい((ヾ(・д・。)フリフリ
ニューヒロシマ
美玲
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2023
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05/12[Fri]
18:40手取り足取りこんばんわ
今日もお誘いありがとうございます
まだ初めてお会いした人と、
お話ししたり、いちゃいちゃするのは
とても新鮮で緊張もしますが、
様々な方の最近あったことや、
ご意見などを聞くのはすごく楽しいです
まだまだ知らないことばかりなので、
皆様、手取り足取りえっちな事も
歴史の事も(笑)
色々教えてくれたら嬉しいです
明日も12時〜16時半
出勤予定となっております
ご予約、お誘いお待ちしておりますね
本日は本当に本当に
ありがとうございました(*´`)
ニューヒロシマ
美玲 -
2023
1
05/12[Fri]
06:15悪いのは……
おはようございます
歴史シリーズ
久坂玄瑞編Part23
立ち塞がる逆境。
しかし、これでめげるような久坂ではありません。長州側の見解は、こうでした。
「わしらは孝明天皇の叡慮である攘夷を忠実に行っただけじゃ。功こそあれ、罪はない。悪いさあ、陛下をたぶらかせた薩摩と会津じゃ」
彼らはリベンジを誓いました。
積もった恨みを晴らすがごとく、「薩賊」「会奸」と下駄に書いて踏みつけて歩いた者もいたとか。
久坂は、京都で長州藩に同情的な皇族や公卿に協力を打診しました。
金払いがよく、粋な遊びを好み、色街中心に豪遊した長州藩士は、町の人々にも大人気でした。
彼らにすれば、長州藩は憎い異人を追い払う正義の味方です。久坂は、その中心にいる、悲運のイケメンプリンスといったところでしょう。彼らはひそかに長州藩士にエールを送っていました。
とはいえ、いくら町人が長州藩を支持しようと、孝明天皇が動かせなければ無駄なのです。
長州藩では、朝廷に弁明の使者を送ろうとしますが、会津藩の反対により、伏見で止められてしまいます。
追い詰められた中で、久坂は養子に粂次郎(文の姉・寿子と楫取素彦の子)を迎えました。
久坂も文もまだ20代前半で、実子を持つことは望めたでしょう。
しかし、それもその余裕があれば、の話。久坂は、自身の命運を予感していたのかもしれません。
続きはまた明日
それでは皆様、
今日も元気にいってらっしゃい((ヾ(・д・。)フリフリ
ニューヒロシマ
美玲